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真田三代戦国歴史検定を受けました

 投稿者:TETSU  投稿日:2016年12月 5日(月)19時54分17秒
  昨日、真田三代戦国歴史検定の1級を受けることができました。「真田丸」の放映期間に検定の全てが受けられて、本当にラッキーでした。
出来も、「これは大丈夫!」という回答ができたのが90問近くあるので、まあ大丈夫でしょう。
とりあえず、ほっとしました。
 
 

先祖の情報お願いします

 投稿者:まめしば  投稿日:2016年 8月11日(木)15時27分2秒
  いきなりの投稿失礼します。
父に昔から「先祖は負け真田」と言われてきましたが、きちんと調べてきませんでした。
真田元七・基八郎、兵庫県姫路市朝日町、広島県府中市鵜飼町がキーワードです。今遠方でどう調べてよいか分かりません。
お知恵を貸していただけないでしょうか?よろしくお願いします。
 

五月 蔵王にて

 投稿者:めぐまま  投稿日:2016年 5月26日(木)16時40分49秒
  真田大八 講演会 手話通訳です
聴覚障がい者からの依頼で手話通訳をします
真田氏の反対側での立ち位置になります
よろしくお願いします
 

渋谷家末裔 さま

 投稿者:鈴木  投稿日:2016年 4月27日(水)19時54分11秒
  ご連絡ありがとうございました。友人が5月半ばに来日することになりました。友人の曽祖父(?)は渋谷ソウハク(字はわからないそうです)という名前で会津藩の御典医、母方の御先祖で母上は亡くなられましたが、御実家は京都の旅館だったそうです。遠い御親戚かもしれませんね。  

おひさしびりです

 投稿者:TETSU  投稿日:2016年 4月20日(水)21時15分49秒
  お久しぶりです。昨年、中国赴任から戻れました。
帰国早々、第三回真田三代戦国歴史検定の申し込みを見つけて、2級を受けました。
検定のHPに真田さんの激励があり、ありがたく拝見しましたよ。
検定内容には少々びっくりしまして、問題集をしっかりやっていれば何とかなるわけではなく、相当な専門知識と少々の勘、度胸が必要でした。

本日、検定の採点結果をいただきまして、無事に2級は合格いたしました。
嘘か誠か、ランキングは1位とのことでした。
これで、何とか1級を受けられるかな・・・と思っております。

また、お祭りでお会いできたらいいですね。
 

渋谷昌益

 投稿者:渋谷家末裔  投稿日:2016年 3月 4日(金)00時25分29秒
  鈴木様のコメントを読んで驚きました。
私の祖母(慶應生まれ)から母が聞いていた話とあまりにも似ていたので。
我が祖母の実家は会津藩の渋谷家です。
祖母の話によると、代々御典医と祐筆の家系で、祖母の兄は鳥羽伏見の戦いで戦死し、
お墓は京都黒谷(金戒光明寺)にあると。
京都詰めだったので、多分、渋谷昌益の流れと思われます。
父も長姉も名前に昌がつきますから。
その渋谷家が真田の流れとは驚きました。
初耳でした。
アメリカ在住の渋谷家の子孫の方と我が家とは遠い親戚のようですね。
 

(無題)

 投稿者:さなまる  投稿日:2016年 1月29日(金)08時52分55秒
  皆さん初めまして。私の名字は真田で実家は江戸初期から続く寺院です。この前実家に帰ったときに我が家の家紋が結び雁金であることを知りました。幸村公と何か縁があるのではと勝手に妄想して、今回の大河ドラマを楽しみに拝見しています。  

24日

 投稿者:甚八  投稿日:2016年 1月20日(水)01時33分4秒
  T.SANADA さま
大変ご無沙汰しております
以前書き込みさせていただきました相模の国の甚八です
24日某所にてお会いできることを楽しみにしております
 

「真田幸村の真実」

 投稿者:幕兵衛  投稿日:2015年11月18日(水)22時57分36秒
  真田様監修の「真田幸村の真実」を拝読しました。特に徳川恒孝氏との対談は面白かったです!  

平山優氏の『大いなる謎真田一族』について

 投稿者:白石老人  投稿日:2015年 9月15日(火)10時12分0秒
  平山優氏の最新刊『大いなる謎 真田一族』(PHP文庫)に、重大な誤りを発見したので、次の記載して注意喚起しておきたい。
その箇所は、P.310~312の「Q90 信繁が片倉小十郎に娘を任せたというのは事実か?」の中の次の記述である。
 なお、伊達氏や片倉氏に匿われた信繁の子女は阿梅だけでなく、弁(青木五郎兵衛朝之妻、元和六年(1 620)没)、御田(なほともいう、岩城但馬守宣隆室、寛永十二年(1635)没)、おかね(石川宗雲 室、明暦三年(1657)没)、貞閑(没年不詳)、大八(信繁次男、後に片倉守信と称す、寛文十年(1 670)没)、らも保護されたといいます(小西幸雄『仙台真田代々記』宝文堂、1996年、同『真田幸 村と伊達家』国宝大崎八幡宮仙台・江戸学叢書65、2015年参照)。
平山氏が引用している『真田幸村と伊達家』には、真田大八と行動をともにした姉弟は、弁、阿梅、おかね、「貞閑早世当信寺ニ葬ル」と記載されている名前不詳の娘の4人であり、後に阿菖蒲が京都から白石に呼び寄せられた。したがって、片倉家に保護された幸村の子女は、1男5女の6人である。
上記のうち岩城但馬守宣隆室の御田は、片倉家には保護されていないので、訂正を要する。
 

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